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​東トルキスタンとは
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 現在の「新疆ウイグル自治区」を含め、一般的に認識されている中央アジアは、「テュルク系の民族が住む土地」という意味の「トルキスタン」とも呼ばれます。日本人にはシルクロードの舞台として知られ、仏教東漸の舞台でもあり、多くの仏教遺跡が眠っています。現在の住民の大多数はイスラム教を信仰しています。
 トルキスタンはパミール高原によって東西に分けられます。西トルキスタンは90年代にソ連の崩壊により独立しましたが、東トルキスタンは今でも中華人民共和国の圧政下にあって苦しんでいます。

 東トルキスタンの面積は日本の5倍で、典型的な内陸性気候の地域です。タリム盆地の中央部にはタクラマカン砂漠があり、その周縁にオアシス都市が栄えてきました。

 テュルク系民族は現在の中央アジアからモンゴル高原までの広範な地域のオアシスや草原地帯を支配下に置くことにより、北上したり、南下したりして、今日の分布状況になっています。東トルキスタンのテュルク系民族は多くの国家政権を樹立し、その中では特に有名なのはカラ・ハン朝や西ウイグル王国です。
 他のテュルク系民族はアナトリアまで移住し、現在のトルコ共和国を作っています。全世界のテュルク系民族の人口は1億3千万人といわれています。ウイグル語も含むテュルク諸語はアルタイ諸語に属し、文法的には日本語と近く、また生活習慣にも似たところがいくつかあります。

 テュルク系民族の中でウイグル人の人口は1千万とも2千万とも言われ、そのほとんどが東トルキスタンに住んでいます。もともとこの地域の住民のうち、ウイグル人が8割ほどを占めていましたが、中国の支配が始まってからは大量の中国人の移住や、ウイグル人の若者の中国沿岸部への強制移住などによって、現在では4割強を占める程度にまで落ちています。

 歴史上、東トルキスタンが本格的に中国の支配下に入ったのは清朝以降であり、それまではテュルク系、モンゴル系の王朝が続いていました。清朝の時代であっても、各地域はウイグル人の宗教貴族や、土俗の有力者によって統治されていました。1933年と1944年は2度の東トルキスタン共和国が誕生しましたが短命に終わっています。

 東トルキスタンは石油、石炭、天然ガスなどをはじめとした鉱物資源、農産物、畜産物に恵まれた土地です。東トルキスタンでの 確認埋蔵量が中国全体の確認埋蔵量に占める割合は、石油と天然ガスが3割、石炭が4割となっています。しかしこれらの資源はパイプラインによって中国沿岸部に運ばれ、地元の人々には還元されていません。

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